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Muhammad

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1

Tuesday, July 28th 2009, 7:40pm

KhanWarsが1.2倍くらい楽しめるかもしれない雑話

せっかく雑談コーナーがあるので立てちゃいました。
建設待ちとか暇で暇でしょうがないときに見たらちょっとは時間潰せるかもしれません。

Muhammad

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2

Tuesday, July 28th 2009, 7:48pm

"Khan" wars

最初はコレ、「Khan」って何よ?って話です。
皆さんチンギス=ハーンって聞いたことありますよね?ズバリ、その「ハーン」のことです。
これは遊牧民国家における君主の称号で、モンゴル帝国に限らず用いられています。
しばしば「カン」「カーン」「ハン」「ハーン」「汗」「河汗」などと和訳されます。

残念ながらこのゲームにおいて遊牧民国家は出てきて無いみたいですね。
それではごきげんよう。

teddy

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3

Tuesday, July 28th 2009, 9:06pm

今日は。遊牧の民の話ですが、実はブルガリア人も遊牧民国家でした。その民族の昔の名前はブルガール人でした。よろしければ、以下のリンクをご覧ください。
http://help.kansensou.com/index.php?topi…&change_lang=jp

Muhammad

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4

Tuesday, July 28th 2009, 9:30pm

なるほど。このゲームで想定している時代が何世紀ぐらいなのかは良くわかりませんが、
ブルガリア民族はローマ帝国的文化と遊牧民族的文化のハイブリッドとなっているわけですね。

Muhammad

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5

Tuesday, July 28th 2009, 10:22pm

封建制

私自信の持てる知識が10世紀以後の西ヨーロッパのことばかりでして、今後もだいたいそのあたりの話になります。
それと教科書に載ってるような事ばかりでは面白くないので、できるだけわき道にそれた話をするようにします。

さて、日本で封建制と言いますと鎌倉幕府や戦国時代の主従関係のことが思い浮かぶと思います。
臣下達は主君のために命を投げうって忠義を貫き通す、という日本の封建制のイメージはヨーロッパのそれとはだいぶ違っています。
まず、中世初期の封建制はあくまでも個人間の相互契約でした。
領土をあげるから毎年一定額納金してくれ、とか、毎年決まった額のお金をあげるから戦争になったら協力してね、とかです。
あくまで個人々々の契約なので、王様が別の国の地方領主に臣従するといったことも可能でした。
中には4人の主君と同時に契約していた騎士なんかもいたくらいです。

日本では主君の身勝手を諫めて逆ギレされて切腹させられる人の話がけっこうありますが、
中世ヨーロッパにおいては好き勝手やった王様が反乱起されてえらいことになる話の方が多いです。
もちろん、主君に絶対的な忠誠を尽くした騎士の話もありますが、こちらの方が少ないのではないでしょうか。

こういった中で各地の有力者や王様が自分の元に権力を集中させようと何百年も頑張った結果、
16世紀からの絶対王政の時代の結果があるわけです。

Muhammad

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6

Wednesday, July 29th 2009, 7:19pm

領主サマの暮らし

「領主」というとでっかい城か館に住んで贅沢して暮らせるとか、土地の奪い合いで戦争ばっかりする
といったイメージがわきますが、実際はそれほど楽なわけでもなかったようです。

平和な時はといえば、毎日毎日自分の領内の管理のために城でデスクワークをしなければなりません。
きちんと計画通り農作業が進められているか、余剰作物などを上手く売りさばけているか、
領内の裁判権を行使していくらかの罰金を徴収できているか、部下はきちんと指示通り働いているか、
といった細々したことに気を配らなければ自分の収益が減ることになりましたから、皆必死だったようです。

戦争になれば主君との取り決め通り従軍することになるのですが、これを何とかして回避することにも一生懸命でした。
1度出征するとえらいお金がかかりますし、出征中は領内の管理ができなりますから、当然皆嫌がったのです。
そんなわけで、領主達は何のかんのと理由を付けて隙あらば帰ろうとしました。
これに困った王は「もう来なくていいからその代わりお金だけ出せ」という案を思いつき、傭兵稼業が一般化するはこびとなりました。
この傾向は特にフランスを中心としてスペイン、フランドル、ドイツなどで強かったそうで、13世紀を過ぎてもそんな感じだったそうです。

それから領主によっては特別な義務が設定されている場合もあり、中には妙なものもありました。
『王が英仏海峡を渡る際、船の上で王の頭を支えていなくてはならない』というのが自分の見た中で一番変だと思いますね。
いくら波が荒くても頭を手で支えるってのはちょっと…
なんでこんな義務ができちゃったのか当時の人に聞いてみたい気もします。

ガララ

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7

Thursday, July 30th 2009, 9:24am

カーンとは?

帝政ロシアでロマノフ王朝がツアーリと呼ばれる強大な権限を手に入れたのは、

モンゴル騎馬民族への上納金を徴収する為だったと聞いたことがあります。

仮にもツアーリと呼ばれる者が、トラの威を借る狐に過ぎなかったって言うんですよね。

ほんとかどうかわかりませんが。

カーンと言うタイトルにもかかわらずモンゴル騎馬民族が出てきていないのは、

何か裏から特定の民族を支配する(援助する)ラスボス的存在として設定されているのかも知れませんね。

Muhammad

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8

Thursday, July 30th 2009, 9:55pm

ツァーリとハンの関係ですか…。
ロマノフ朝成立後、隣接していたガザン・アストラハン・クリムの3ハン国は攻め滅ぼされていますから
諸外国の対抗上国内を纏め上げるためにツァーリの称号を用いたものと思っておりました。

モンゴル系の国家に従属していたころのロシア諸公領については『タタールのくびき』という言葉でまとめられる事が多いですね。
これはロマノフ朝成立の大体2世紀ほど前だと思います

Muhammad

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9

Thursday, July 30th 2009, 10:21pm

弓、クロスボウ

さて私の城にも兵舎が立ちまして、クエストクリアで増えた100人の弓兵のおかげで
人口が圧迫されておるところで御座います。
このゲームにはショートボウ、ロングボウ、クロスボウと数種類の飛び道具が登場しますね。

まずショートボウ。弓は広く用いられていた飛び道具で、狩猟などにも使う馴染み深い道具でした。
使いこなすにはあるていど訓練が必要でしたが、狩人や農民などを徴用することで
即席の弓兵部隊を作ることが可能でした。
また、騎士の従者(大抵農民や都市民出身)も弓で主人を援護していました。
威力的には物足りなく、重武装の騎士と戦うにはちょっと不安な武器です。

そしてクロスボウ。西暦1000年を過ぎたころには西洋中で普通に使われるようになっていたようですが、
騎士達からは嫌がられました。
この武器は特に戦闘訓練を受けていない平民でも短時間であつかえるようになる上、
飛び道具で死ぬと言うのは騎士の戦いの倫理観にはそぐわないものだったからです。
実際、12世紀初頭のラテラノ公会議で教皇から「飛び道具禁止令」が出たくらいです。
まあ、結果的にその布告はほとんど無視されました。
傭兵などは好んでこの武器を使い、特にイタリア北部諸都市のクロスボウ傭兵隊は好評でした。
ただ、手軽に扱えて威力もあるものの、装填に時間がかかるのが問題で
この後ロングボウの登場で影が薄れることとなります。

ロングボウ。この武器の有用さを証明したのはやはり、『クレシーの戦い』ではないでしょうか。
これは英仏の100年戦争初期に起こった戦いで、イングランド王エドワード三世率いる長弓隊が
仏王フィリップ6世の騎士軍とクロスボウ部隊を壊滅させたというものです。
エドワード三世はこの長弓隊にきちんとした訓練を施していたようで、
ロングボウの高速な射撃能力と長い射程という利点が充分に生かされた結果の勝利でした。

Muhammad

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10

Friday, July 31st 2009, 10:13pm

騎兵

引き続き兵科の話です。

もともとヨーロッパに生息していた馬は戦争に向かない小柄なものだったのですが、
ローマ帝国時代から地道に品種改良が重ねられ、大型で頑丈な馬が誕生しました。
こういった頑丈な軍用馬のおかげで生まれたのが衝撃戦法、
すなわち重武装の騎兵集団が密集隊形で突撃して敵を轢き潰すという戦法でした。
この戦法によって重騎兵は戦場の主力として長く活躍することになります。

ところが火器の発達で機動性に欠ける重騎兵が不利になっていくと、機動力のある軽騎兵が主力となりました。
軽騎兵は味方の側面を守ったり、逃げる敵を追撃したり、敵の砲兵陣地を潰したりと
機動力を生かして戦いました。

さらに火器が改良されると騎兵専用の銃砲も作られるようになり、
結局騎兵は第2次世界大戦まで主力の1つとしてつかい続けられました。

ちなみに中世においてイスラム圏や遊牧民の諸国は、射撃も近接戦闘もこなす
混成の軽騎兵集団を用いるところが多く、特にモンゴル帝国の皆騎兵はユーラシア大陸の大部分を制覇するほどの活躍をしました

Muhammad

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11

Saturday, August 1st 2009, 9:41pm

兵器

さらに兵器の話です。

古代より野生生物や盗賊、その他の外敵から身を守るための城壁が築かれましたが、
城や町の城壁が強化されるにしたがって、それを破壊する兵器も進化しました。

まず投石器。読んで字のごとく石を投げ飛ばしてぶつける兵器です。
中世の投石器はイスラム圏で生まれたマンジャニークという投石機がベースになっているようで、
これがヨーロッパなどにも広まり、カタパルト、トレバシェット、マンゴネルなどいくつかの改良型が生まれました。
また、遠く中国にも同じような構造の回回砲という投石器が存在しています。
初期の投石器は腕木を押さえつけ、たわませた力で石を飛ばすものでしたが、
12世紀イタリアで錘を利用した改良がなされ、その飛距離と威力は格段に上昇しました。
初期の投石器でも20kgの石を200m近く飛ばすことができたそうです。
投石器は壁の同じ箇所を正確に攻撃し続けられるという特性が重宝され、火砲の発達まで
改良が続けられ、使い続けられました。
また、防御側も城壁の上などに投石器を設置し、投げ込まれた石を打ち返すなど攻守共に活躍しました。

梯子、攻城塔などは直接兵員を城壁に乗り込ませて戦闘するための兵器です。
用意するのにあまり手間がかかりませんが、相当の被害を覚悟しなければならないのであまり良い手段ではありませんでした。
梯子やロープなどを使って壁を越えるというのは18世紀あたりでもまだ行われていたようです。

破城槌は城門など比較的壊しやすい部分を直接攻撃して打ち壊すための兵器です。
小屋に車輪と紐で吊られた丸太が付いたような構造のものや、木の覆いの先に
金属製の三角錘が付いたようなものもありましたが、中に人が入って直接押して行き、
城門に叩きつけて破壊するというふうに使われました。

Muhammad

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12

Monday, August 3rd 2009, 10:12pm

兵器・番外編

兵器・兵科の話はここで一区切りですが、今回は番外編、その他諸々な話です。

『ギリシアの火』
端的に言うと、中世の火炎放射器です。
サイフォンのような方式とも、油の詰まった陶器の弾を飛ばすとも言われ詳細は不明ですが、
考案したのは9世紀ごろのシリア人カリニコスという人物らしく、ビザンツ帝国で使用されました。
硫黄と硝石とナフサ(粗製石油)を混合した燃料を飛ばし、火種をぶつける事で着火する兵器らしいです。
ビザンツと戦ったアラブ側の資料の写真を見たことがありますが、それに描いてあったのは
油の詰まったガラス製の砲弾の図でした。

『ハルバード』
長いポールの先に斧が付いたような武器です。多分RPGとかに出てきそうな気がします。
この武器は密集して槍のように構えれば騎兵を止めたり、先端で引っ掛けて騎兵を叩き落したりできたため
14世紀~15世紀ごろは割と主流な武器として使われました。
結局銃火器の発達で衰退しましたが、見た目にもインパクトがあるので、実は現代でも式典用に使われることがあります。

他にも色々な兵器がありますが、設計図だけで実現されなかったものが沢山あります。
盾の内側に仕込めるクロスボウとか、カタパルトで人を城内に投げ入れて落下傘のようなもので降下するとか
(病気に感染した死体などを投げ入れたことはあったみたいです)
投げても手元に引き寄せられる槍とか…

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Birthday: Mar 9th 1973 (37)

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Thursday, June 3rd 2010, 4:40pm


>ロマノフ朝成立後、隣接していたガザン・アストラハン・クリムの3ハン国は攻め滅ぼされていますから
>諸外国の対抗上国内を纏め上げるためにツァーリの称号を用いたものと思っておりました。

これと全く同じ経緯で選出されていたのが、共和制ローマの独裁官(ディクテーター)でした。
カルタゴ戦争で、ハンニバルの侵攻に対抗するために合議制ではどうにもならないと言う事で、戦術的なフリーハンドを与えるために独裁官が選出されたのです。
独裁官の制度は、元来からローマ帝国の危機の際に、軍や政治の指導者に戦術戦略のフリーハンドを与えないと危険な場合を見越して制定されていた制度の一つです。

ツァーリの場合は、ハンニバルよりも更に統一された意思で侵攻して来るモンゴリアンを迎え撃つ為に策定された制度だったのでしょう。
独裁官と違い、ツァーリは権威までも備えており、本格的な諸侯や王族を纏め上げる皇帝の要件を最初から備えています。
外的への恐怖に対する究極の措置であり、諸侯や王族の統一された意思で造りあげられたものでもありましたから、それが定着した後に20世紀まで継続したのでしょう。
そして、子孫(特にペテルスブルグを作ったあの人とか、20世紀まで生きていた海外留学先で凄まじい事件を起こしたあの人とか)を見る限り、ロマノフの家は体格、腕力、根性、精力などが人並みはずれた怪物の家だったと思えます。

露西亜人が「親方」と呼ぶのはそう言う人達なんでしょう。ピョートル大帝なんかは、まさに大工の親方が天職だったとも思えますが。

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